50円映画館とタイロン・パワー

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今日のできごと
 年賀状の整理。昭和28年から40年ころまでの高校同級生の賀状を差し出人宛郵送した。なにかのよすがとなるかも知れないので。
 
雑 記 帳
 記憶が不確かなので、調べてみました。昭和30年代の封切り映画館の入場料です。昭和29年100円、同32年150円、同33年200円となっていました。
 というのは、そのころ50円映画館へ通いましたから。金の無いのは首の無いのと同じだ、など愚痴を言いながら、同じような銭なしと、客席百を越えない映画館でスクリーンを見つめておりました。果たして入場料が50円であったについては、封切館の上記料金から推測して間違いありません。
 今タイロン・パワーという美男俳優を記憶する人は少ないでしょう。しかし、昭和32年には「陽はまた昇る」同33年には「情婦」に出演しています。映画界は次第に極端な表現をすれば、悪党面が場所を得てくる趨勢にありました。そのころ見た映画です。
 嵐の中で難船した客船から、救命ボートで逃れた船長(タイロン・パワー)と乗客らのお話です。激しい雨風と波のうねりのなかで、ボートの乗員は必死です。
ある者は艇内の海水を汲みだし、ある者は渾身の力でオールを漕ぎます。波風は更に激しさを加え、全員憔悴の極、そこで船長は提案します。このままでは全員助からないこと必定、そこでオールを持つ手の弱い者をボートから除くことの提案です。まづ華奢な婦女が救命具を着け艇外に、高名な科学者であった老人がと、数は減らされていきました。
やがて嵐はおさまり、海は静かになりました。残った皆は安堵の表情です。視界は開け、遠くに大きな客船が見えました。次第々々に船は近づきます。そして、船上の甲板の人たちの顔がボートの乗員に明らかになりました。怒りの眼差しで凝視しているのは嵐の海に押し出された人たちでした。
タイロン・パワーは美男俳優で知られてはいましたが、演技派とは評価されていませんでした。しかしこのときのかれの苦渋に満ちた表情は別格だと今でも思います。
残念ながらこの映画の題名は覚えていません。
やっとグウグルで題名がわかりました。1956年制作のイギリス映画・監督リチャード・セイル「二十七人の漂流者」でした(2005.2.20)。