2011-01-01から1年間の記事一覧

歳の終わりに

私は歳月について深く思いを致すことはなかった。これは些細な詮索するほどの深刻な思索ではないからである。 明日のことを思い煩うなと立派なしかるべきご本に書いてあるそうだ。しかし単純に考えれば、要するに夜ごと睡眠を妨げれらねばいいのである。 私…

地元産の効用

日々新聞には医薬品化粧品の広告が便乗している。便乗しているのではなくて、主体となって新聞を内助しているのかも知れない。その含まれた内容を見ると、漢方系列の材料が組み込まれている。 「趣味の薬草 高橋貞夫著」を見ると、山野草に薬用にならぬもの…

鯉には歯がある

近くの川にはハヤ・フナ・鯉などが泳いでいる。それを狙う白鷺・アオサギ・カラスなどがいる。いつぞやはカラスの集団が数十尾の鯉を砂洲に跳ね上げて平らげてしまった。悧巧な鳥である。 マガモ・カルガモ・コガモも盛んに餌を漁っているが、わたしの観察で…

饂飩屋の釜

ずいぶん前のことになるが、中国で四千年前の饂飩の化石?が見つかったという記事を「子供の科学」で読んだ。麺の調理法はシルクロードを経てイタリヤのスパゲッテイとなったとの説もあるそうだ。 確かに粒食と粉食が食文化を二分する。信州の新聞に蕎麦畑の…

夢のような話

先日ご法事があった。和尚さんの法話を聴きながら、なるほどと聞き入ることもあった。とは思いながらもというお話もあった。 人として守るべき道筋がある。宗教や道徳の戒律を踏み外さないようにするには、並みの以上の努力が必要である。出来ないから厳しい…

久大線田主丸駅

河童をかたどった愛嬌ある駅舎である。江戸時代の随筆にたちはよくないが、哀れな河童の話がある。 むかしむかし豊前の国のさるところに、怪しからん川太郎がいた。化け物の分際で人間の若い女性に懸想する。想いを懸けられた若い娘こそ迷惑千万、現心を喪い…

という話

むかしのお噺というのを近頃の子供たちは聞くことがあるのだろうか。蕎麦の茎元が紅色なのは、天から落ちた鬼婆の血だなどいう話である。フンフンと聞いているうちに夢路に誘われ、そして「げなげな話は嘘じゃげな」で終わりとなる。 今日郷土史を含めた探訪…

ハカタヨ

福岡市内バスに乗ると、車内で英語・韓国語・中国語のアナウンスがある。殆ど耳にそよぐ音声ではあるが、遠来のお客様へのサービスでとして国内産の私には雑音として聞き流している。 外国語を頻繁に聞くのでいくらか外国語に聞きかじりの友人に尋ねた。「ハ…

タテガミと角

もと上野動物園長(中川志郎氏)の著書によると、むかし同動物園には、体重が150キロを越えるライオンがいた。雄だったが去勢されてタテガミが落ちた。去勢して数ヶ月後、タテガミがぽろぽろ抜け始め、ついには雌と同じようになった。ライオンのタテガミ…

吠える犬

近所によく吠える犬がいた。老犬シベリアンハスキーだった。犬には悪意がなくても吠えられるのは気持ちがよくない。気の小さい奴と犬は思っているかも知れない。お互いに齢をくっている。勘弁してヨと頭を下げて通っていた。 いつのころからか二匹の小型犬に…

痛痒

帯状疱疹に罹って一月になる。快癒したと思うのだが、友人の体験では一年掛ったと聞くと妙な気になる。 元々皮膚疾患の気配が身体中にあるので、言われてみると全快に自信を失くす。 痛痒を感じないという言葉がある。してみれば、痛いも痒いも神経は同根で…

今晩も曇り空

タブロットPCを見に行ったがいくらか思惑とは違っていた。そこでカメラの売り場を覗いた。ところがそばの望遠鏡売り場に目移りして、安い反射望遠鏡を衝動買いした。十年ほど前にミードという反射望遠鏡を買ったことがあった。しかし結局半端な使い方しか出…

酔芙蓉

玄関側に酔芙蓉がある。お彼岸近くになって急に涼しくなったので孫が風邪をひいた。いくぶん神経質な児だからであろう。 朝の間は白い花をつける。午後陽射しが強まると色を紅いろに変える。日陰では十七度、明け方には十四度になったこともある。電力不足の…

むかしのはなし

どこでいつ憶えたのか鰻屋の店先で弁当を使っている男の噺である。大日本雄弁会講談社の厚い本で読んだようでもある。妙な世智に富んだ教訓や寓話ばかりの本であった。 例えばこんな話もあった。 毎晩のように死んだ女房の幽霊に悩まされた若い鰥夫が思案に…

ものには効用

百円ショップは便宜なもので、ほとんどの文具が賄えた。難を言えば遠くにあることだ。博多駅付近にある店は品揃いしている。躍進経済の中国で百円商品の供給が不自由しないのを疑問視はしている。 以前は扇子などあまり手にしたくなかった。ただし棋士などが…

名前を忘れる

いつごろ始まったかそれこそ記憶にないのだが、面識があってかなり親しくしていながら、お名前が思い出せないことが再々ある。そればかりか新たな建物が建つともう元の建物ことは忘失してしまっている。 困るのは目前での応対である。働いているときは全くな…

甲賀三郎

江戸川乱歩などと並んで甲賀三郎という探偵小説家がいた。もう小説の筋など覚えてはいない。ただ子供のころから探偵作家とばかり思っていた。勿論それも間違いない。 ところが「説話民謡考(鈴木棠三著)によつて、長野県諏訪湖畔に祀られる諏訪明神の縁起を…

7年前のキリギリス

先月の話(7.20)だが、近くの川沿いに朝夕かなりの人通りの遊歩道がある。橋の傍に白いパイプのガードがあるが、見ると一匹のキリギリスがとまっていた。顔を近づけても逃げない。キリギリスはパイプの上を歩き始めた。時々前後左右の脚先を舐め、そし…

戒壇院の彼岸花

涼しいのは結構だが、雨天続きである。 台風の影響は昨日までで今日は小雨が時折降るのみである。おかげで今のところ節電も強いて心がけずに済んでいる。 思うことがあって近くの戒壇院にお参りし護符を戴いた。その折玄関先に彼岸花を見た。二本あって一本…

美食とネコ舌

大袈裟に「字通」を引くまでもないないのだが、舌という字は口中より舌が出ている形だそうだ。舌人とは通訳の意と知ればなるほどと思い当たる。 猫は味覚が発達しいて、舌さき部分には、舌にきている神経の三分の二が分布している。舌の神経は味覚の外に、触…

ルーペ眼鏡

帯状疱疹の痛み止めのお薬を買いに行ったとき、薬局に石坂浩二のポスターが貼ってあった。二枚目は眼鏡を掛けても様になる。中学生のころ眼鏡を掛けると勉学に勤しむ学生らしく見えそうだとのフウテンの寅サン的発想にとりつかれた。しかし否応なしに必要と…

生涯で六・七人に一人がなる一般的な病気

昼間は事に紛れて我慢が出来たが、夜分の激痛に我慢が出来ず病院で診断を受けた。先生から薬局への処方箋と帯状疱疹についてのパンフレットを戴き、ネットで調べたら詳しいことが判るとも教えられた。 そこで念のために検索すると、年代として六〇歳代を中心…

犬の散歩

いくらか涼しい朝夕の間に犬が散歩に連れ出されている。パリでは犬の糞を処理しないと罰金が課せられるようになった。途端糞公害が無くなったという。稲荷と犬の糞というお江戸を茶化した言葉があったそうだ。現今当市も税金という元手を掛けて下品な掲示板…

金魚のあくび

狭い家にも風が吹き通る場所がある。玄関側はアオキとヤツデの間から風が吹きこむ。これはというほどではないが、暑い日差しを避ける木陰の役目くらいにはなっている。 そこでぼんやりしていると、舌打ちのような音が聞こえた。家には七匹の金魚がいる。大小…

猫を飼ったことがある

およそ六十年前に猫を飼ったことがあった。猫好きな人には荒けない言い方であるが、そのころ不足した食料を鼠が勝手気ままに食い荒らすし、濡れた足音で枕元を駆け回る。そこで友人宅へ子猫を貰いに行った。三毛を貰ってきたのだが、妹や近くの彼女の友人た…

ポプラ社教養文庫

当市図書館には大きな活字の本が置かれている。すべての書籍は無理だろうが便宜している。また弱視者用の機器も置かれている。近頃は児童書籍コーナーを利用させてもらっている。 そこに「吉野ヶ里遺跡発掘」が有るので手に取ってみると、同じ棚に「太平洋の…

ブログの効能

私がブログを始めたのは、2004.7.22である。ある新聞にブログのやり方の詳細が書いてあった。 初めてみると、埒もないコメントが乱入していくらか狼狽したことがあったが、公開した以上は止むを得ないと辛抱した。やがてプロバイダーの処置もあってよろし…

穏やかな意見

江戸の昔が良かったという迷信がある。むかしがよかったという迷信もある。迷信は迷信としてよかろう。落着いてその時代の書物を読んでみよう。 吉川弘文館に日本随筆大成という叢書がある。また地方図書館にも備えがある「日本庶民生活史資料大系(三一書房…

盥で行水

子供のころ盥で行水をした。いまその経験があるのは後期高齢者のうちでも僅かであろう。まず盥という古典的器具はいまない。プラスチックの代用品があるが、風情に劣る代物だ。 もやいの井戸があった。吊るされた西瓜ほど涼味のある食べのは、そう、トコロテ…

蝉のことはよく判らないそうだ

いまもあるかどうかは知らないが、小学生のころ昆虫採集という夏休みの宿題があった。あれこれ道具立てが要った。小学生にとってはかなりの出費で、当然父兄の負担であった。 それは措いて私は蝉の捕えが下手だった。集中力散漫で蝉の所在がなかなか捉え難く…