立山防空壕跡

長崎歴史文化博物館の裏手の崖に、「立山防空壕」跡があります。原子爆弾炸裂直後に長崎県知事が防空総本部長官などへ送った電文が写真展示されているのを見学しました。
防空情報第一報には、次のように書かれています。
1、 本日1053敵B29二機は熊本県天草方面より北進し島原半島西部橘湾上空を経て長崎市上空に侵入1102頃落下傘附新型爆弾二個を投下せり
2、 右爆弾は広島市を攻撃せるもの小型と認められ負傷者相当ある見込なるも広島の被害に比較し被害の程度極めて軽微にして死者並に家屋の倒壊は僅少なり
しかし、被害状況の悲惨さが次第に克明になってきます。
第五報の空襲被害情報は
本日20時現在判明せる長崎市空襲被害状況左記の通にして其の被害は殆ど全市に及び特に長崎駅前以北浦上一帯被害甚大にして敵の投下せる新型爆弾は二個と認められ既報の如き強烈なる威力を有し広島市に於て使用せるものと同一爆弾と思料せらる
死傷者は約50,000人位と認めらるるも目下救護中にして正確なる調査困難なり今後尚増加の見込死傷者は何れも火災に依るものにあらずして爆弾炸裂に依る爆風弾片火熱に依るものなり(以下省略)
この防空壕は爆心地から約2.7キロメートル離れていて、警察電話を通じてくる情報のため、当初被害軽微となるのは当然でした。
今日被爆の実相や平和の大切さを痛切に知って貰うため、平成一七年十一月から見学できるよう整備されたそうです。