徒然草の第二百四十三段を読んだとき、生意気な小僧だなという感想だった。兼好の父上も息子自慢を陰に隠して吹聴していたのではと思えた。注釈本もあまり踏み込んで云々していない。もとより古典の解釈に深みのある私ではない。
ところが、「ソフィーの世界」を読み始めて幼い兼好法師の小理屈「空よりやふりけん、土よりやわきけん」は笑って過ごせる疑問ではなかったのだ。
当然あらゆる宗教というか信心というものの疑問はそこにある。穏やかに問うならば、「空よりやふりけん、土よりやわきけん」と思うのだが。