愛想のない犬

誰にでも愛想よくしてもらいたいのは人情である。しかし世間はそう甘くない。ましてやなんとなく顔や名刺の利く現職のころとは違うのが世の常である。
ところが、人間ばかりでなく飼われた犬にも同様気を使わねばならないこともある。
川そばの散歩道のベンチに婦人と飼われた犬が腰をおろしていた。なかなかの容姿の犬である。婦人は煙草を吸っている。犬は嫌うかのようにそっぽをむいている。近くを同類が通る。盛んにほえるのだが、吼え終わっても主には背を向けたままである。
猫は犬と違ってべったりした親愛を示さない。それが好きだという人も多い。
近頃は人と犬との見境のつかない飼い主も多い。舐めあげるほどの親愛さを持ちながら、大道に放置された糞を気づかぬのはなぜであろう。
散歩する犬は大小とりまぜている。盲導犬から鼠まがいの小型までがいる。畸形と思える改良は人間の傲慢な仕業ではないか。多少偏見ではあろうがそう思うのである。