マンボウを食った

東松浦半島のほぼ先端呼子(現在唐津市)に住んでいたとき一度だけだがマンボウを食った。マンボウの学名は「モーラ・モーラ(石臼)」であり、フグ目の仲間だそうだ。ともあれ北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」で名を挙げたが、水族館でしか現物を見る機会はない。億単位で卵を産む魚だが漁獲が少なくいわんや口にすることを得たのは僥倖であったわけだ。
「ウニの赤ちゃんにはとげがない葛西奈津子著」には次のような書かれている。
マンボウは背びれと尻びれを使って泳ぐので、この二つのひれを動かす筋肉がよく発達している。白身でやわらかく、食用にされることがある。肝を細かくすりつぶしたものや酢味噌でその刺身を食べると、イカとホタテの貝柱を一緒にしたような味だとか。漁獲されるのは「昼寝」の最中がほとんどでいつでも大量にとれるわけではなく、そのうえ水分が多くて保存しにくいため、多くが漁師さんや地元の人たちの間で消費されてしまい市場に出回ることは滅多にない。さらにマンボウは皮が厚く、肉は全体重のわずか一〇パーセンほどしかないというのだから、なかなか貴重なものなのだ。そのおいしさが世に知られて、わずかな肉のためにマンボウが乱獲されないことを願わずにいられない。
地場の人のいわくでは、「ヘコ(褌)」を質に置いても喰わんバ」の珍味である。