猫と鼻(私のハテナ9)

書物には知識啓蒙の類と発想の切っ掛け与えてくれるものがある。老化した記憶力には今更溜め込む知識としては無用と思えるものが多い。日々の暮らしには必須の智慧がいる。しかし、それも厳密に取捨すれば僅かな量となる。
「日本の漢字 篠原宏之著」には当然深く考えさせる芯もあるが、さまざまな事例が引いてあって、私には多くの思いつきを与えて戴いた。特に、「漢字の字形の構成と使用の仕方は、六書と呼ばれる象形、指示、会意、形成、仮借という方法に分類されている」の公式も知ることが出来た。
漢字文明について甚だ悲観的な考えがあるようだが、敗戦後国語改革云々の愚に等しいのではないだろうか。
近くの路地に殆ど毎日のように野良猫が丸くなって座っている。見るたびに猫という漢字を連想する。鼻という漢字はハナらしく見え、鼻毛までありますとした江戸人の発想もまた頷ける。
ところで、近ごろ猫に較べて、犬が意気地を無くなしたのはどうしてだろうか。