名前を忘れる

いつごろ始まったかそれこそ記憶にないのだが、面識があってかなり親しくしていながら、お名前が思い出せないことが再々ある。そればかりか新たな建物が建つともう元の建物ことは忘失してしまっている。
困るのは目前での応対である。働いているときは全くなかった。あれば大変である。定年制はこのためにあるのだろう。
ならば自営業者は、と思うのであるが、仕事に痛切に結びつく営業用の記憶がおおいに働いてくれるようだ。
お医者さんが患者の顔は思い出さないが、患部の跡を見て思い当たることがあるそうだ。
PCを使うので漢字を忘れてしまったという愚痴をよくきく。「用字便覧 小桜書房」は以前大変便宜をした辞書である。日常日本国語大辞典など殆ど使用することがない。手元にあって利用する(今は電子辞書を使ってはいるが)この手の字引である。
このように記憶を手繰り寄せる便宜なものがあればと思う。近所隣の付き合いに名刺を交換することもなく(あればきざだが)日常平穏に打ち過ぎている。