という話

むかしのお噺というのを近頃の子供たちは聞くことがあるのだろうか。蕎麦の茎元が紅色なのは、天から落ちた鬼婆の血だなどいう話である。フンフンと聞いているうちに夢路に誘われ、そして「げなげな話は嘘じゃげな」で終わりとなる。
今日郷土史を含めた探訪で近くの集落を歩いて廻った。以前から雰囲気のある(あったというべきか)ところだと思っていたが、個人としては屋敷内を覗くことも、お坪の裡に立ち入ることもできなかった。しかしお邪魔してみると、近頃の分譲住宅地とは異なっていて、どこまでが道路であるか、隣との庭境がどこなのか、近隣当事者の判断を仰がねばと思えるところも処々にあった。
飛騨の匠が造った木製の鶴に乗って唐土まで出かけた。ところが、帰りに唐土の人に妖しまれ、片羽を矢で撃たれ、鶴は大宰府のこの地で力尽きて墜落した。匠は鶴を憐れみ、鄭重に埋蔵した、という鶴の墓という伝承の場所もあった。