宮本武蔵と天草の乱

細川のお殿様の末孫細川護貞著の『魚雁集』には面白いお話が数多く紹介されている。あまり権謀術数に関する話はチャンバラ作家に任せよう。
これもチャンバラ筋ではあるが、武蔵が島原の乱に際し、吉原の遊女雲居井がくれた紅鹿子の小袖を裏に縫い付けた黒緞子の陣羽織を着て、彼女は店先まで、弟子山田屋三之丞・並木屋瀬左衛門・野村玄意と大門までは歩き、迎えの馬にまたがって駆けていった。武功のほどは不明だが、敵方の投げた石に当たって怪我をしたそうである。もっともこの資料のもととなったのは、「洞房語園」である。
ちなみに黒田藩の戦死傷者は、討ち死に二百五十七人、手負い千七百六十八人であった。