2012-01-01から1年間の記事一覧

おかしな夢

私はカラオケには困惑しておりました。勤めをやめてから絶叫型から絶唱型までの陶酔に付き合う機会がなくなりました。ところが昨夜日常とは脈絡のとれない夢をみました。 夢というものは脈絡のないものではありますが、私が堂々と絶叫ではなく見事絶唱してい…

日 蝕

明日は金環食が観測される日であります。お天気が心配な日和となりました。「アスパラ」で松本清張に短編「金環食」があることを知りました。図書館で全集を捲ってみましたが見つけることができません。そこで文庫本を買いました。いわゆる推理小説ではなく、…

元寇防塁

先日名柄川裾を歩いてみました。大きな観覧車を眺めましたが、風が酷い日でしたのでお客さんの数は少なかったようでした。 閑人にさしたる感慨はなかったのですが、自動車屋展示場裏に元寇防塁があったことを思い出しました。 「四百余州をこぞる十万余騎の敵…

旧石器時代

旧石器時代というのは驚異的に永く二万五千年続いています。天変地異もありましょうにその間生き続けてきた人類はたいしたものです。私は数えの八一歳ですが、百歳を超える長寿の方も年々増えているようです。しかし二五〇〇〇割る一〇〇は二五〇ですから桁…

キャベツ一株

野菜を食うことを勧められますが、朝食の時にキャベツ一株食べる人の話にはついていけません。種々多様な料理に使われてそれなりに美味とは思うのですが、ものには程度というものがありそうな気がします。 キャベツは地中海沿岸が原産だそうです。イタリヤで…

丸の話

船名に何々丸と丸を使うのは、何か曰くがあるのか、その曰くは何だろうかと不審に思っていました。和辻春樹著の随筆「船」を読んでなるほどと合点しました。 丸が使われたのは、遡れば鎌倉時代に始まったようです。丸は情愛を込めた呼称で人にも愛犬にも刀や…

港町

福岡市内で私は西公園そばの海沿いが好きです。お山の下の三番町に住んでおりました。そのせいかもしれません。近くの港町によく行く銭湯がありました。公園下にも現存する銭湯もありす。 今では近づきがたい高級マンション街になりました。経済発展の輝かし…

ゴールデンウィーク

身寄りが近辺におりますので、窓から車の往来を眺めるだけです。驛や空港の光景もぼんやり眺めるだけです。往来は難儀なものだとは 思いますが、羨ましくもあります。 何処に行ったの?とアナウンサーが尋ねます。「オバアチャンチ」と可愛い幼児が答えます…

翁 草

江戸の随筆に神沢杜口の翁草があります。江戸随筆を読み始めた最初の本です。立川昭二「足るを知る生き方」に詳しい紹介と解説がなされています。筑前周辺の記事もかなりあり、切支丹宗門改めの正月の行事としての絵踏・踏絵の故実を知ったのはこの本により…

四月三日五月五日

表題の日はそれぞれ大悪日だそうです。雨が降れば、大洪水になるとの俗説があります。当地に限っていえば、今年去年ともにその日は曇でした。 明日は端午の節句で、孫たちが寄り合うので穏やかな日和りになるように願っています。綺麗なお月様が出ています。…

百 足

わが家はそれほど山賤ではないが、越してきた頃には狭い庭に蛇などの長虫が現れていた。近頃とんとお目にかからない。ところが今朝ほど久しぶりの百足出現である。百足と言えば俵藤太である。 彼は先祖伝来の名剣と重藤の弓に三本の大矢を携えて三上山に臨む…

柄にもないこと

昔の話といっても江戸時代もあれば平安時代もある。縄文時代ともなれば、遙かな時限の彼方まで素人の思いは届かない。 子ノ曰ワクの孔子が確か縄文の終わりごろに生誕したといわれる。もっとも紀元前一万年に始まり前四世紀頃まで間だから現代人の目先ばかり…

サマータイム

アメリカ兵のことを進駐軍と読んでいたころ一時サマータイムが実施されたことがあった。私たちの中学校の生徒の住居は広範囲に亘っていたのでかなり遠距離から通学する級友もいた。私自身も朝星を眺めて田舎道を通った。そのような状況での時計時間の変更は…

電線音頭

窓からは十七本ほどの電線が見える。正確ではないが、まあそれくらいの数はある。しかし間違ってもそれより少ないことはないだろう。 数多く止まっているのは雀と椋鳥である。椋鳥は時と処によっては何百羽に及ぶことがある。ほどんど全国各所で繁殖する。繁…

金魚の午睡

うちに金魚七匹飼っている。無精で怠け者ではあるが、生き物の世話はする。メダカ位のころからすると六年になる。金魚は四〇年生きるそうだから、私がぼけずに頑張っても終生面倒は見られない。 ところで子供のころに金魚の昼寝という童謡を聞き知った。私に…

偶には新聞も

新聞を開いて憂鬱になることばかりだが、一昨日の朝刊はそうでなかった。文化の扉欄に司葉子が原節子と共演した折のことを語っている。 明石の海へ泳ぎにも行きました。海の向こうは淡路島が見えるんですが、「司さん、私、あそこまで泳いでくる」とおっしゃ…

どんたく

どんたくは博多のお祭りである。博多と福岡は同じようでも多少違うところがある。 方言である。今ではその違いを講釈出来る人は少ない。全くいないと言って過言でないと思う。それは経済の比重が明治以後博多に傾いてい、しかも経済人の出自が外来である。 …

はやりの名前

姓名判断に不審を持たれないお方にとって赤ん坊の名付けにはさぞや神経を使われたことであろう。誕生にも名付けにも当の本人の意思も責任はないからであるから。 試みにイギリスの男女の名前表を一瞥したら「踵を掴んだ者」という名すらあった。なお数え上げ…

お金持ちの見せびらかし

アラブ首長国連邦や湾岸諸国のお金持ちは虎やライオンをスターテスシンボルとして飼うのだそうな。もともと動物園の発祥は見世物小屋からである。江戸では両国広場で象や駱駝が見世物のなった。今でこそお金を惜しまなければ、南極へペンギン見物に行く事だ…

動物の値段

近頃はペットもなかなかの値がするようである。家族の一員として遇し以前のように残り飯に味噌汁をぶっかけて食わせるなどのぞんざいなことはしない。ただ飼い主よりは長命でないことがいくらか気がかりのようである。 ところで、白輪剛史著の「動物の値段」…

キュウピー人形

もうそろそろ片付けるころとなったのだが、お雛様の傍にどんなつもりかキューピー人形が置いてある。もともとドイツで考案されたらしい人形はニトロセルロースと樟脳が材料でだった。セルロイド製品は引火性が強いためアメリカで輸入禁止になった。人形は大…

欠伸について

人間のすることにあれこれ理屈がつけられないことは誰もが認めている。ところが他人のすることに悶着を付けたがるのも人間の性である。話途中で相手が欠伸をする。てっきり自分の話に興味関心を失ったと自我の強い人は憤慨する。ところが欠伸そのものには動…

マンボウを食った

東松浦半島のほぼ先端呼子(現在唐津市)に住んでいたとき一度だけだがマンボウを食った。マンボウの学名は「モーラ・モーラ(石臼)」であり、フグ目の仲間だそうだ。ともあれ北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」で名を挙げたが、水族館でしか現物を見る機…

悪 魔 の 姑

悪魔という字をあれこれ国籍辞典で引いてみたが、まづは大槻文彦の言海が随一面白い。 あくま 悪魔 魔ノ条ヲ見ヨ。 ま 1,梵語。麻羅ノ略、共条ヲ見ヨ。2、転ジテ、心ヲ乱ス霊 (タマ)。悪シキ神。麻羅1、梵語 障碍、又、奪命ノ義、利、楽、欲、怒、悩、…

奥様は魔女

というテレビドラマがあった。 中近東の国では魔女が処刑され、東欧の国では魔女を正規な職業として認め、労働法や税制の枠に組み込もうとする動きも最近出てきた。反発した魔女たちが「呪い」で政治家たちに報復すると騒ぎだし、ついに「政治家が魔女の呪い…

歯磨きの角力

ほとんど毎日のように人間の体臭口臭除去の薬品の宣伝が新聞に掲載されている。たぶん日々のアクの強い食事のせいだと思う。口中清涼剤大礼服仁丹はすでに百年を越す貫禄だろう。 歯磨きは遙か寛永二十年、江戸の丁子屋喜左衛門が朝鮮人に伝授を受けて始まっ…

御説ごもっとも

世間には筋の通ったような御説だが、まくし立てられると、そうかい、そうかいと怯むことがある。実は先日のメジロの話だ。私も野鳥の会の員数に加えて戴いたことがある。ならば捕獲禁止に大いに賛同すべきではないか。 近所に八十をとっくに超えたご老人がお…

メジロの捕獲禁止

以前福岡市に住んでいた。近くに公民館が有りメジロの鳴き合わせを見たことがある。相当前のことで詳細は記憶にないが、憶えている限り次の通りである。 公民館の前庭に諸処から鳥籠を持参した愛好者が集まる。まだ近頃のように自動車に積んでの数は少なかっ…

昔のお話

清水市の中学に通っていた。勉学していたと書きたいのだが、嘘も書けまい。興津駅で降りたところの農家にお手伝いに行ったことがある。 駅前から派遣先の農家の方に連れだって山道を登った。かなり曲折した坂道だった。 山中の蜜柑畑に着いて暫くして蒸かし…

概日リズム

大人は体内時計によってほぼ一日(約二五時間)の概日リズムで睡眠を取る。赤ん坊は体内時計が発達していないので、腹が満たされると眠り、空腹になると目を覚ます。生まれて一、二月経つと体内時計が働き始め、規則的に眠るようになる。以上は「子供の科学」20…